月夜の囃子と哀惜の狸塚 — 木更津・證誠寺に息づく童謡『証城寺の狸囃子』の原風景

by 野口雨情・中山晋平(松本斗吟 伝) • 江戸時代〜大正時代 • 日本・千葉県木更津市

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護念山 證誠寺(狸塚・童謡碑・松本斗吟句碑)
童謡『証城寺の狸囃子』のモデルとなった浄土真宗本願寺派の寺院です。江戸時代初期の寛文年間に開かれ、第6代住職・了因法師(律師白公)の頃には寺子屋として多くの門弟を集め、雅楽を用いた音楽法要や三味線の指導も行われていたことが伝説の土壌になったと伝えられています。寺伝では、秋の月夜に庭へ現れた数十匹の狸たちが「證誠寺山のペンペコペン 俺らの友達やドンドコドン」と腹鼓を打って踊り、和尚も一緒になって毎晩囃子を競い合いましたが、負けん気の強い大狸が力いっぱい腹を打ち続けた末にお腹を破って薮の中で命を落とし、和尚がこの友達を哀れんで葬ったとされます。明治38年(1905年)に同寺門徒の俳人・松本斗吟が郷土文芸誌『君不去』にこの伝説を記録し、大正10年(1921年)に講演で木更津を訪れた野口雨情がそれを基に作詞しました。大正13年(1924年)に木更津尋常高等小学校の校友会誌『きさらつ』第7号で原詩「證誠寺の狸囃」が発表され、続いて雑誌『金の星』大正13年12月号に原詩「證城寺の狸囃」が掲載された後、翌大正14年(1925年)1月号にて中山晋平がリズミカルな反復と「ぽんぽこぽんのぽん」の擬音を加えた改作・付曲版を発表して全国に広まりました。寺号の表記が「證誠寺」ではなく「證城寺(証城寺)」となった理由には、『君不去』誌面での誤植がそのまま参照されたという説や、特定寺院への配慮から変えられたという説があります。本堂横の庭園には、昭和4年(1929年)のレコード流行時に建立された中橋徳五郎揮毫の「狸塚」、昭和31年(1956年)に建立された野口雨情直筆の歌詞と中山晋平自筆の五線譜・松本斗吟の撰文が刻まれた「狸ばやし童謡碑」、そして伝説を文献に残した松本斗吟の句碑や筆子塚(律師白公墓)が並んでおり、歌の陽気なリズムと供養の記憶を同じ空間で鑑賞することができます。
童謡『證城寺の狸囃』/寺伝「狸ばやし伝説」• 秋の名月と萩の花が咲く静かな境内の庭で、三味線を弾く和尚と、腹鼓を打ちながら輪になって踊る大小の狸たちの影が重なり合う情景。
移動情報
月夜の囃子と哀惜の狸塚 — 木更津・證誠寺に息づく童謡『証城寺の狸囃子』の原風景
月夜の囃子と哀惜の狸塚 — 木更津・證誠寺に息づく童謡『証城寺の狸囃子』の原風景(野口雨情・中山晋平(松本斗吟 伝)・表紙)
出典・引用情報
「證、證、證城寺 證城寺の庭は ツ、ツ、月夜だ 皆出て来い来い来い 己等の友達ア ぽんぽこぽんのぽん」
— 出典: 『『金の星』大正14年1月号「證城寺の狸囃」(および境内「狸ばやし童謡記念碑」)』 野口雨情(作詞)・中山晋平(作曲) (第一連)

主なイベント

  • 野口雨情(作詞)・中山晋平(作曲)

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